縄文のこころと子守唄
(報告)
かがり火コンサート
〜つたえよう!命の賛歌、子守唄〜

2005年8月6日(土)19:30〜参加費無料
御所野縄文公園






御所野遺跡は縄文時代の中頃(四千年〜四千五百年前)の
大規模なむらのあと




私の吹く篠笛の音が”やまびこ”となり
心と一緒に青空へ昇って行く。




この広さ、思わず大声を出して走り回りたくなる。
あの白いテントの前がイベント会場




かがり火の道を通って
四千年前の縄文時代へ




縄文の服を来て篠笛を吹く。




ギロ・ギター・ムックリ・ハンドドラム・カシシ
篠笛・風鈴




私は鎌田やよいさんと一緒にアイヌの子守唄と
岩手の子守唄「かねこもり」を篠笛で吹きました。
闇夜に響くやまびこが四千年前へいざなう。






高村山荘の旅
2005年8月7日

高村光太郎が焦土と化した東京より太田村山口(花巻市)に疎開し
冬には雪が吹き込むあばら家で思索の生活をおくったのが高村山荘です。














山荘は套屋(とうおく)によって保護されていますが
これは光太郎を敬慕する村人たちが
一本一本持ち寄った木で建てられたものです。
約7坪ほどの山荘に建てた套屋が古くなったため
もう一度套屋を建てていて二重になっている。



杉皮葺の屋根、荒壁、障子一重の窓の
畳三畳半の山小屋で”山居七年”の孤独な生活が始まりました。
光太郎六十二歳の時です。

「典 型」
今日も愚直な雪がふり
小屋はつんぼのやうに黙りこむ。
小屋にゐるのは一つの典型、一つの愚劣の典型だ。
三代を貫く特殊国の特殊の倫理に鍛へられて
内に反逆の鷲の翼を抱きながら
いたましい強引の爪をといで
みづから風切の自力をへし折り
六十年の鉄の綱に蓋はれて
端坐粛服
まことをつくして唯一つの倫理に生きた
降りやまぬ雪のやうに愚直な生きもの。
今放たれて翼を伸ばし
かなしいおのれの真実を見て
三列の羽さへ失ひ
眼に暗緑の盲点をちらつかせ
四方の壁に崩れた廃墟に
それでも静かに息をして
ただ前方の広獏に向ふといふ
さういふ一つの愚劣の典型。
典型を容れる山の小屋
小屋を埋める愚直な雪
雪は降らねばならぬやうに降り
一切をかぶせて降りにふる。




自作の便所



智恵子展望台へ






智恵子展望台



智恵子抄泉






旧山口小学校跡地
”正直親切”
山荘に入る前、光太郎は旧山口小学校の宿直室で過ごし
地元の人々との交流を深めました。



”高村橋”まで歩いてみました。