岩 崎 獅 子 舞


私の住んでいる所沢の、山口地区には
「岩崎の獅子舞」
というのがある。

(2003.10.11)




岩崎の獅子舞は今から三百八十余年前
時は慶長十九年(1614年)
岩崎の地頭、宇佐美助右衛門が
大阪冬の陣に戦功を立てての帰途、
京都から三頭の獅子頭面(龍頭面)を求め、
獅子舞の師匠も伴い凱旋し
村の若者達に稽古をさせた。
丁度その頃、岩崎の瑞岩寺が
二〜三年前、大火によって焼失、
その時再建され上棟式に
奉納舞ったのが始まりである。
それから数年後、村々に悪病が流行した際、
獅子がその病家を訪れ舞い、
その厄を払ったところ悪病はたちまち治った。
以来岩崎は勿論のこと
近隣の村民からも悪病除け、
火伏せ(火災から守る)の
守りとして崇められ現在に至る。
この獅子の豪放さは、
他の追随を許さぬものがあり、
大獅子と中獅子の血闘の場面は観賞する人々に
あたかも舞人が魔に憑かれた火の念を思わせ
戦国の乱世に権力と横暴に明け暮れしていた当時の
世相を克明に表現したものである。
天下の実権を牝獅子になぞらえ
二頭の牡獅子がこれを奪わんと、
数度血闘するも天の裁きに依り屈伏、
心を改めて相携い協力して
真の平和な村づくりを進めるの意味したものである。




獅子舞は、岩崎の瑞岩寺境内で行なわれ
舞場は直径二十一尺(約六メートル四十センチ)の輪を画き、
周囲に笹のついた青竹八本を立てて、
縄で連携しその間に「シメ」をさげる。



行列は笛、棒使いを先頭に
山伏、簓子、縄追い、獅子の順で場内に入る。







舞の順序
一、街道下がりの曲
二、始めのトーラリーの曲
三、中のトーラリー
・廻り獅子
・花がかり
・引回し
四、終のトーラリー
五、曳き(引)笛



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